部員ブログ「エゴ」 浅見昂志

私はエゴイスティックだ。もう嘘はつけない。

1年の夏に途中入部してから、それなりに活動し、新しいことにも挑戦してきた。チームのために、九州大学サッカー部のためにと思っていたが、本当は全部自分のためだと気づいた。自分が負けたくないから、自分が1部に行きたいから、自分が活発なチームにいたいから。本当は全部自分のためなのに、そんなエゴイスティックな自分を毛嫌いして、チームのためだと思いこんでいたのだろう。一貫性のない私の言動には説得力などなかった。訳の分からないことを言う自分が嫌で、「チームのために」とまた自分に嘘をついた。そんな人間に結果や、信頼がついてくるわけなかった。

サッカーというスポーツは面白いほど普段の振る舞いが表現される。一貫性のない私の振る舞いもプレーに現れていた。本当は、自分が点を決めたくて、自分が勝ちたくて、自分のゴールで勝たせたいからサッカーをしているのに、無理やりチームのためにと思い込ませていた。結果として、大事な局面で変な焦りや迷いがうまれたし、大胆な選択を取れなかった。そんなFWに点なんて取れるはずがない。

問題は、エゴイスティックであることではない。自分の中のエゴイスティックで自己中心的な部分を認めなかったところにある。自分のエゴを認めない人間は、他人のエゴに気付けない。すると「なんで自分だけこんなにやらないといけないのか」といった意味不明な考えが浮かんでしまう。周りも多忙でいろんな悩みあって、各々のエゴがあるはずなのに、なぜか自分だけが悲劇のヒーローのように感じるのである。素直に「自分のために」行動していれば、周りがどうかなんては気にならないし、各々のエゴを認識しながら、自分のエゴのために行動できる。そうすれば、自分のエゴにも共感してもらえるはずである。正直に「自分のため」にプレーすれば、大事な局面で直観を信じれる。きっとその方がチャンスをものにできる。

一方でチームメイトは、心の底からチームのために行動しプレーしている。研究室や就活・教職試験、サッカー以外でも多忙で悩みがあるはずなのに嫌な顔ひとつせずにミーティングをし、練習メニューを考える。多忙による睡眠不足や怪我でコンディションが悪くてもそんな素振りを一切みせずチームのために闘う。自分がどんなにエゴイスティックであろうと、そんなチームメイトが近くにいるんだということは忘れずにいたい。

サッカーをするのは紛れもなく自分のためであるが、サッカーができることは自分のおかげではない。家族やチームメイト、これまでの恩師、大学関係者、相手チーム、協賛企業様。サッカーができるのは恵まれた環境があるからである。今なお続くパンデミックはそのことを強く認識させた。

最後に今年のスローガンである「CHALLENGE」と目標である「1部昇格」について、私のエゴと合わせて書きたい。まず、1部昇格は私のエゴそのものである。本当に心の底から昇格したい。そのための私自身の挑戦は、「自分のゴールで少しでも多くの勝ち点をもぎ取ること。」

最後の一年、環境に感謝しながら、自分らしく目標に向かって、サッカーを楽しんでいきたいとおもう。

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