『思い立ったが吉日,その日以降はすべて凶日』 #6 福島大輝(副キャプテン・DF)
【引退ブログ】 vol.6
『思い立ったが吉日,その日以降はすべて凶日』
#6 福島大輝(副キャプテン・DF)
先日,約12年にわたるサッカー人生が終わりましたので,長い期間真剣にサッカーに向き合い学んだことをこのブログで書きます。提出期限を失念し,新人研修に行く前のホテルで焦りながらこの文章を書いているため,つたない文章になることをお許しください。
私のサッカー人生の始まりはサッカーという競技に対する純粋な興味からではありません。小学校5年生の時によく遊んでいた友達のほとんどが学校のサッカーチームに所属しており,土日はチームの練習に行くため,土日は友達と遊ぶことが出来ませんでした。そのため,みんなと週末も遊ぶために同じサッカーチームに入ることを決めサッカーを始めました。邪な理由から始めたサッカーですが,やっていくうちに競技自体の面白さ,困難なことを集団で乗り越える達成感を感じるようになり,中学以降はただサッカーをしたい,上達したいという想いで部活に入ったことを覚えています。
中学,高校と学校の部活動でサッカーに没頭し,当時はサッカーをただ純粋に楽しんでいると思っていましたが,今振り返ると指導教員に怒られることを常に恐れてサッカーをしていたと感じます。自分の当時の実力と人柄から中学,高校共に怒られることは人一倍多かったと記憶しています。「言われているうちが華」という言葉もありますが,中学,高校生の自分には客観視できるほどの心の余裕はなく,ただ辛いという感情だけに飲み込まれていたような気がします。そのため,自分がしたいプレーをするというよりは怒られないようにするために,先生に言われたことを鵜呑みにしてそれを遂行することに重きをおいてサッカーをしていました。チームプレーなので監督が求めるプレーをすることは当たり前のことですが,もう少し自分で考えて自分なりのプレーをする比重が高かったらより楽しい部活動になっただろうと振り返って思います。
そんな私のサッカー人生においての一番の転換点は大学での部活です。九州大学サッカー部は明確な指導教員や監督が存在せず,学生主体で部活動の運営を行っています。私はこの環境の中で試合に勝つために,チームの目標であるリーグ昇格の為にピッチ内外関わらず自分は何ができるのかを真剣に考えるようになりました。それまでは言われたことを実行するだけだったサッカーが私の中でより自由で奥深い競技になり努力の質が変わったことで,大学での4年間が一番実力の向上した期間だと思っています。自分で考えることを放棄していた中高時代に比べて,自分のミスや成功で感じるストレスや達成感は大幅に拡大しましたが,それが大きな充実感,納得感そして成長につながったと思います。もっと早くこのことに気付けていればと少し後悔もしますが,この経験を通して自分で責任をもって意思決定,判断することの重要性を学ぶことが出来たのでよしとします。
このブログには書ききれませんがサッカーを真剣に行う中で自分自身と向き合う機会はとても多く,そのたび上記のような学びを得る機会も頻繁にありました。この些細な学びはたいてい一過性で忘れてしまうことが多いのですが,今サッカー部を引退して振り返ってみると,あの時の気づきにしたがってやっておけばよかったと思い返し後悔することが山ほどあります。そのためこの文章をここまで読んでくださった数少ない読者の方々には思い立ったことは躊躇せずその時を逃さずやってみていただきたいと思います。振り返って後悔することがないように。文章にすると当たり前のことを書いているように思えますが,実行することはとても難しいです。私自身も「思い立ったが吉日」という言葉を胸にチャンス,気づきを逃さず充実した人生をこれから歩んでいきたいと思っています。
あとWord20枚くらいは書きたいことがありますが,そろそろ時間なのでここで結びとさせていただき,会社に行ってきます。よいお年を。
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