サッカーなんで続けてるんだろう? 石原慧理

   こんにちは、新4年の石原です。
九州大学に在籍しておよそ3年が経過した今、僕はアメリカのイリノイ大学にいます。アメリカ中西部に位置するイリノイ州の首都シカゴから南へ車でおよそ3時間のところにイリノイ大学はあります。アーバナ市とシャンペーン市というなんともおしゃれな名前の二つの市にまたがるキャンパスはとても広く、のんびりしています。
   そんな留学先で、僕は大学のサッカーチームの活動に参加する形でサッカーを続けています。留学中も何かしらの方法でサッカーを続けたいと思っていたのですが、まさか大学で最もコンペティティブにサッカーに取り組んでいるチームで活動するとは、アメリカ行きの飛行機に乗っている自分はその選択肢を本気で考えていなかったと思います。
留学の目的は?と聞かれることが何度かあります。学業面での成果や人間関係・考え方の視野拡大、『なんとなく』、などそれは人によって様々。僕も目的は一つではなくいくつもあるのですが、その一つが『サッカーをすること』になっています。
大学間交換留学をしている学生の留学目的の一つがサッカーをすることって改めて考えてみると結構笑えるんですが、その時ふと思うんです。『自分がサッカーを続けているのってなんでなんだろう?』と。そこで今日は自分自身の頭の片付けや整理も含め、僕がなんでサッカーを続けているのかを中心に書いていきます。
 
   サッカーを始めたのは確か4歳の時、『キッズラブサッカー』というサッカー教室・キャンプに参加したのが最初でした。親によると通い始めて数回は泣きながら参加していたとか。ただ不思議なことに、毎回泣いて戻ってくるのにやめたいとは言わなかったそうです。実際泣く時期はすぐに終わり、それからはかなり楽しそうにボールを蹴っていたようです。僕もサッカーをしている最初の記憶は『楽しい』という感情なのでこの頃の体験が頭に残っているのだと思います。キッズラブサッカーにはアリーシャと言うコーチがいて、この人が泣いている自分をとにかく励まし、褒めてくれ、おそらくやめたいと言わなかったのもこの指導があったからだと思います。その後はA.Y.S.O.というリーグに参加したり、地元の街クラブであるPalo Alto Soccer Club(通称PASC)やMenlo Park Strikersといったチームに入ったり、色々な形でサッカーを続けました。日本帰国後も中学校の部活、地元のクラブ、高校の部活、そして大学の部活と今でもサッカーをしているわけです。特にアメリカにいるときは野球やバスケ、水泳、陸上など他にもスポーツをしていましたが、結局いまでも競技として続けているのはサッカーだけです。長距離を走ることは嫌いではなかったので、もしサッカーじゃなかったら陸上が一番可能性が高かったかもしれません(笑)。
こうやって振り返ってみると、サッカーが好きだから、サッカーをしているときが一番楽しかったから、サッカーをしているときは頭のモヤモヤを感じなくなるからといった理由が今でもサッカーを続けている要素になっているのかなと感じます。サッカーをしている時、特に本気でサッカーをしている時の感覚を知ったからこそ今でも競技スポーツとしてサッカーをやっているのだと思います。もちろんサッカーをしている自分からしたらどんな形態でもサッカーは楽しいのですが、やっぱり競技スポーツとして真剣に取り組んで得られる経験や感覚は表面上の楽しいとは違う『楽しい』が感じられる気がします。うーん、例えるなら嫌々と挑む体育の持久走みたいな感じかな?走り終わって自己ベストが出た時の達成感…ん微妙に違うかも。ただ僕がサッカーを続けている理由の一つ目は『サッカーが楽しいから』です。これはサッカーをしている生命体がみんな持っている普遍的な理由かもしれませんね。
 
   一つ目といったのはこれが自分視点の理由だから。こうやって書くとサッカーを続けているのは『自分』がサッカーを好きだから、『自分』が選択したから、全部『自分』の気持ちや行動が作用しているかのように聞こえちゃいます。でも本当は…少なくとも僕はサッカーを今でも続けている理由として自分が影響を及ぼしている割合って30%くらいかなと思っています。もしかしたらそれより小さいかも。
僕が挙げる、「なんでサッカーを続けるか」の二つ目は『環境』です。ここでいう環境は場所や人や状況等、『自分』以外の要素のことです。一つ目の理由を僕がサッカーを続けている理由とするならば、二つ目は僕がサッカーを続けられている要因です。人間の意思判断って不思議で、自分自身の判断で決定したと捉えることもできれば、見方を変えれば色々な外的要因によってそう誘導されたとも考えることができます。要は捉え方次第なんですが、それでも僕にとって『親』そして『家族』の存在はサッカーを続けているという事実に大きく影響しています。だってサッカーと自然偶発的に出会うことはなかったから。両親が最初に連れていってくれたスポーツ教室が『サッカー』だったからサッカーを知ることができた。まずはここに尽きると思います。そして教室として始めたサッカーをよりコンペティティブな場で行うことを可能にしてくれたのも両親です。競技スポーツとしてのサッカーを始めた当初、親の真剣度に対して多少『怖い』と感じることがありました。今、21歳になった自分にはその時の親の気持ちや状況は理解できるのですが、当時の僕はただ漠然と『コワイ』と感じることしかできていなかった。それを丁寧にサポートしてくれたのが二人の姉であり、この時期にサッカーを続けられたのも姉の存在が大きかったと感じます。自分にとって当たり前の状況は誰か、もしくは何かによって過去に形成されていることを、『今』を生きていると忘れてしまいがちです。だからたまにでも良いから過去を振り返ることって自分を見つめるだけでなく、その周囲の影響に気がつくという意味でも大切だなと思います。また、人以外の環境を挙げるとすると、日本という環境はサッカーへの取り組みやすさで言えばアメリカで滞在していた地域よりも続けやすかったと強く感じます…他の面では議論する余地はありますが…(笑)。ということでサッカーを続ける理由の二つ目は『環境』です。
 
   最後に3つ目の理由ですが、これは留学をしてより強く感じることができました。『コミュニケーション』です。3つ目の鍵カッコ、コミュニケーションか言語にするか迷いましたが、今回はコミュニケーションという表記でいきます。これはどういうことかというと、サッカーを通して他人とコミュニケーションをとることができるんです。コミュニケーションって別に言葉を介するものだけではなく、非言語的なものも丸ごとサッカーには含まれています。だから『言語』って表記したくなかったのかも。
少し時を遡って2011年、僕がアメリカから日本に帰国した際、結構生活に慣れるのに苦労しました。苦労している感は出していなかった気がしますが、帰国生としてのいらない特別扱い、偏見、同一思考の強要などいわゆるカルチャーショックは多かれ少なかれありました。そういったモヤモヤが日々の生活で溜まる中、サッカーのプレイをしている時だけはそういったことを感じることはありませんでした。ピッチ外では部活の制度や組織編成等モヤモヤはありましたが、プレイ中の頭はスッキリでした。スッキリした状態だったからこそ周りの人とプレイを介して意思疎通ができたし、ピッチ内でコミュニケーションが取れたからこそピッチ外でもサッカーを通して知り合った人とはスンナリ仲良くなりました。アメリカ→日本という結構大きな変化に比較的はやく順応できたのも、サッカーをしていたからだと感じます。これは高校へ進学する際のセレクションや高校入学、大学入学のタイミングでも感じました。そして現在いるイリノイでもサッカーのコミュニケーションツールとしての側面は心強い味方となっています。言語に関してはあまり不便を感じていなかったのですが、サッカーチームへのセレクションやその後の練習・試合で一緒にプレイをするメンバーとは言葉だけでは築けなかった仲になれたと思っています。サッカーがコミュニケーションとしての側面を持っていたことは昔から変わらないですが、僕がそれを「サッカーを続ける理由」として捉えるようになったのは割と最近のことで、これが三つ目の理由です。
 
   ここまで大きく三つの理由を説明してきましたが、もちろん細分化すればもっとたくさんあるかもしれないし、実はサッカーを続ける理由なんて自分の中には無いのかも。これまで挙げた内容は石原慧理が21年間生きてきて現在思っていることで、将来人生が進んでいく中で変わる可能性は大いにあります。こうやって人生全般あるいは一つのテーマについてその時の自分の考えを記すのっていいなってこの文章を書いていて思いました。そんな場を作ってくれてありがとう、良い企画だと思います。この文章を読んでくれた人も今続けていることがあったら、なぜそれを続けているのか考えてみると面白いと思います。もちろん正解もなければ間違いもない。ただ『今』の考えを整理して残しておくことが大事かなと。時間があったら、いえ、時間を作ってでもやってみてください。僕もブログという形態じゃないかもしれませんが、続けたいと思います。
 
   最後まで読んでくれてありがとう。
P.S.新入生へ
   九大サッカー部は選手、チームスタッフがチーム目標及び個人個人の目標達成を通して成長し続けています。学年なんて関係ない!意見を言える環境、聞く環境があります。そんな九大サッカー部の部員として帰国後に会えることを楽しみにしてます。
 
                                                      新4年   石原慧理

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