引退ブログ「夢の轍」柳本賢太郎

 卒業ブログを執筆するに当たり九大サッカー部のプレイヤーとして4年間でどのような成績を残せたのか九州大学サッカー連盟のホームページの記録から計算してみました。

「出場時間357分(約4試合分)15失点」

 これが九大サッカー部での4年間の個人成績です。4年間でたったの4試合。それなのに15失点。4年間何をしていたのかと言われてもしょうがないと思います。

 試合に出場させてもらっていた小学校中学校高校の時と比較するととても満足のいく結果を残せたとは言えませんが、大学サッカーを通して高校までは経験できなかった役割を経験することが出来ました。簡潔に4年間を振り返りながら大学サッカーで何を経験したのか、何を学んだのかを記していきたいと思います。

 2018年と2019年は2人の先輩に続く第三GKとして甘んじ、公式戦で一度もベンチ入りすることなくシーズンを過ごしました。この2年間は2006年から始まった自分のサッカー人生の中でどん底の時間だったと思います。九州大学サッカーリーグは九州全域を転々として開催されるため福岡県で開催される試合以外は基本的にベンチ外の選手は帯同することが出来ません。練習ではサポートすることが出来ても実際の試合になると試合会場に足を運ぶことさえ許されず、ツイッターの速報で試合結果を知る。そんな日々が続きサッカーに対するモチベーションが徐々に低下していきました。当時はふてくされていましたが今となっては当時の先輩方や応援してくださった方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 モチベーションが下がっていた自分を再び勇気づけてくれたのは1学年上の21年卒の先輩方でした。年が近いということもあり大学入学当初からよく面倒を見ていただいた先輩方の背中を見てもう一度サッカーに真剣に取り組もうと決意しました。しかし新型コロナウイルスの影響で開幕が延期となり、チーム活動も停止してしまいました。10月なって遂にシーズンの開幕を迎えますが3試合目で足を負傷し最終節まで戦列を離れることになりました。念願の公式戦出場は果たしましたが思うような結果を残すことが出来ず悔いが残るシーズンになりましたが、コロナ禍において多様なアイデアで実施可能なトレーニングを考案する姿から学ぶものは多くありました。個人的な結果が伴わないことに加えコロナ禍という難しいシーズンになりましたが、結果的に充実したシーズンとなりました。

 2021年は秋から留学を予定していた(コロナの影響で結局中止になった)ためプレイヤーではなくチームスタッフとして活動を行いました。3年生までは「自分が活躍したい。」と思って活動していましたが、プレイヤーからスタッフへと立場が変わった4年生では「チームのためになることはどんなことでも率先してやる。」という意識を持ってシーズンに入りました。練習前後の準備や試合の準備などいわゆるホペイロと呼ばれる役割に取り組み、選手が快適にプレーできるように努めました。また広報班に所属して、試合の見所を紹介するマッチデープログラムやハイライト映像の配信など新しい企画にも挑戦することが出来ました。これらの企画はまだ改善すべき点が多いので後輩たちにより良いものに仕上げていって欲しいと思います。シーズン後半からは選手が抜けた影響で選手兼チームスタッフという形で活動しました。公式戦に出場することはありませんでしたが、シーズン前半で違う視点からチームを観察したことで外から感じたことをチームに還元することが出来ました。昨シーズン同様イレギュラーなシーズンとなり予選リーグでは下位トーナメントとなってしまいましたがそのトーナメントでは2連勝で今シーズンを締めくくることとなりました。

 入学時はレギュラーを張って九大サッカー部を九州大学サッカーリーグの1部に昇格させると夢を抱いていましたがその夢とは程遠い結果となってしまいました。しかしながら九大サッカー部の4年間の活動の中で直面した挫折や困難を乗り越えようと努力した経験は高校までの環境では得られなかった財産になると思います。小学一年生から続けてきたサッカーに取り組むのは大学で最後になると思いますが、サッカーが好きであることには変わりがないので今後はJリーグを観戦したりOBして九大サッカー部を陰ながら応援したりしてサッカーとのつながりを持ちたいと思います。最後になりましたが4年間支えて下さった家族、チームメイト、地域の方々、スポンサーの方々、九州大学サッカー連盟関係者の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

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