部員ブログ「性格と感謝と環境と心持ち」近藤周吾
まず僕は、今までの人生を振り返ったり、自分を客観視して深く考えを巡らすことがあまり好きではない。そのようなことを考えるのが得意ではないし、いままで無意識的にそのようなことを避けてきたからだ。その日の悩みは大体その日のうちに解決したいし、大抵のことは寝たら忘れる。というのもポジティブかつ楽観的という、こと悩みという概念とはかけ離れた性格をしているためである。何かシリアスなことがあっても、その部分を自嘲したり、考える前に「次頑張ろう」という気持ちになる。特にサッカーにおいては、本気で取り組んできたスポーツであるだけに、サッカーのことついてシビアに考えるのは非常に億劫である。考えるのは性に合ってない。口だけは嫌い。前向き精神…。というように、ブログ作成に全く向かない性格をしているということを存分にアピールしたところで、ブログの提出が遅れた言い訳をならべるのは以上にし、ブログ係への謝罪のかわりにさせていただきたいと思う。
そろそろ自分のサッカー観について真面目に書かなくてはならないのだが、先に内面について語らせてほしい。
先述の通り、楽観的な性格とはいえ、僕も環境が変わり一人暮らしを始めたことで、良くか悪くか、いろいろと思うことが増えた。いや、ほぼマイナス。そもそも、ポジティブかつ楽観的な性格でいることができたのは、当然周りの環境が整っていてくれていたおかげで精神的に健康な考えができたからであり、その点自分は今までとても恵まれた環境に囲まれていたのだなぁと痛感し、非常に感謝している。
変化したものは他にもある。いままでなら、基本監督が言っていることは絶対であり、主体的とはいってもやはり、大事には監督やコーチなどのおかげで、時には監督対選手のような形になってでも組織としてうまくバランスをとれてしまう環境だった。しかし今ではすべて学生選手だけで組織を運営しており、非常に難しく感じることがある。いわゆる汚れ役というものが存在しない環境でみんなで団結してチームを運営していく難しさを痛感している。何よりも腹立たしいのは、そのような環境に妥協した考えをもってしまうことがあることだ。選手だけという環境が難しいのは確かだが、それらの不満もすべてエネルギーにかえるだけの大きな心持ちが必要であると思う。それは昨季のキャプテンが引退スピーチで言っていた「自責」という概念とは少し異なるが、自分の中ではこの「エネルギーにかえる」という考え方が一番しっくりくるし燃えてくる。新しい環境であっても悪いことばかりではないはずであるし、悪い部分に対しても、ある意味盲目的になりながら自分のエネルギーにできるように向き合う。強靱で貪欲なメンタルでどんなイライラも理不尽も飲み込んで筋肉に変えてしまおう。これが今年のテーマ。
さて、サッカー観について熱弁する予定であったが、ダラダラ長くなっても意味がないし、聞いているほうもイライラするだろう。割愛。よし、はやく練習を再開しよう。
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