【引退ブログ】 vol.5 古賀尭人(経済学部) 『分別過ぐれば愚に返る、一寸先の光陰軽んずべからず』
【引退ブログ】 vol.5 古賀尭人(経済学部)
『分別過ぐれば愚に返る、一寸先の光陰軽んずべからず』
引退して1か月以上が経ち、大学の授業もほぼない私は、ひたすらに人とコミュニケーションを取れる場所を探し求めている。自宅近くの飲み場や雀荘が最近の戦場だ。いつも絡んでこなかった人々とのコミュニケーションは私の視野を広くし、深みを与えてくれる。就職した後に周船寺が恋しくなりそうな自分が悔しい。周吾と散々バカにした街なのに。
さて、今回は引退ブログということだが、多分同期の奴らはしっかりとした文章を書いてくるだろう(と、信じている)。だから、むしろ私はまとまりのない、思ったことをただ書き連ねた文章にしてやろうと意気込んでいる。個性が出るからこそ個々で書いている意味があるというものだ(たしか周吾が引退ブログをChatGPTに丸々書かせてたけど、それは個性出すぎでしょ笑。多分さえこ辺りに怒られるよ)。
とはいっても、ある程度の論旨は必要である。ここでは、4年間の部活動を通しての「気づき」について書こうと思う。では、本題へ。
考えて考えて考えることが大好きな私には、常に自分に対して様々な疑問が浮かぶ。なぜ私は大学に入ってまでも体育会でサッカーを続けたのか。なぜサッカーが好きなのか。そもそもなぜサッカーを始めたのか。サッカーに限らない。社会人になって何をなしたいのか。何がしたいのか。どんな仕事がしたいのか。人生における優先順位は何なのか。考えても納得のいく答えはなかなか出ない。膨大な数の疑問は頭の中を回り続ける。そんな自分自身も自転に乗せられ回っている。ぐるぐるしてばっかりで目が回る。
私の知っている小さな世界には、たくさんのバカがいる。必要以上の筋肉を求め、サッカーを辞めてまでも自分を追い込み続けるバカ、周囲の反対を制しワーホリに行こうと本格的に画策しているバカ、友人の試合を見にわざわざ宮崎まで飛行機で飛んでくるバカ(しかも確かANA)、消費者金融に借金してまで好きな女性に奢るバカ。自分には(なんなら世間にも)理解できない、非合理的な選択を行うバカを何人も知っている。彼らについても考える。彼らは何になりたいのか。何がしたいのか。というかそんな選択をして一体何になるのか。そんなことを考え続けているうちに、彼らはもうそこにはいない。私の知らないどこかへ行ってしまっている。ひたすらに論理的で合理的なことを考えその場に留まり続ける自分と、己の欲望のままに進み続ける彼らの間には明確な境界があり、線引きされているように感じる。そして私のような人間は一生この境界線を超えることが無いのだろう。それがそこまで難しくないことを知っているはずなのに。
なぜプロになれるわけでもないのに体育会でサッカーを続けたのか。この4年間を通して少しずつその答えがわかった気がする。きっと私はあの憧れたバカになりたかったのだろう。我を忘れ、ひたすらにボールを追いかけたかったのだろう。サッカーをしている時はバカに擬態できている気がするのだ。しかし常に論理性を意識して生きてきた私は、何も考えずにサッカーをすることは中々できない。特に最近はめっぽうその傾向が顕著であった(経験のせいかな?)。サッカー中も考える。考えることには慣れているから頭がパンクすることもなく要領良くこなせる。20年も経験を積んだサッカーであれば尚更だ。そんな自分が嫌になる時もあった。ひたすらに思考をぐるぐると繰り返す自分に嫌気がさし、いっそその遠心力であの境界の向こうへ飛んでいきたいとすら思っていた。それほどにサッカーが、サッカーに夢中になる自分が好きだったのだろう。
サッカーが無くなった今、それに代わる代物を探している。そういう意味で、社会人になることは楽しみである。
もう1つ。大学サッカーを通して学んだことがある。
それは、理論体系からではなく実践的な方法からアプローチをすることの重要性である。ことサッカーという自由度の高い競技であるからこそ、多くの場面で痛感することとなった。
弊部は、学生だけで何から何まで運営している。もちろん、監督までも。特に今期は同期が監督(斎藤光。以下、光)であったことに加え、自分が最高学年であったことから、よく練習後や試合後に光とサッカーについて話した。特に練習後のマックスバリュでは周吾も交えて色んな話をしたものだ。光はサッカーに関してチームで1番詳しく(本人は否定するだろうが)、様々な戦術をその世界的なトレンドから高校サッカーに及ぶまで(ペップ・グアルディオラから延岡学園まで)、幅広い教養がある。そんな彼と話している時によく感じたのが、1つ1つの細かいプレーに対して良し悪しを判断しながら、試合や練習を見続けていたことだ。そしてそこを出発点として、今期の弊部が勝つために必要な戦術を見出していた(本人は苦しそうだったが笑)。
ここでのポイントは、光は自分の中で理論的な答えを幾分か持ち合わせているにもかかわらず、具体的なプレーについてその時々で精査を行っている点である。普通(自分もそうだが)、自分の中に答えとなる理論体系がある場合、その理論から演繹的に正誤判断を下してしまう。体系化された理論を現場に持ち込むことで、様々な要因を持つ「ある1つのプレー」が、その文脈に当てはまっているように感じるのだ。現代の完全情報化社会の弊害であろうが、サッカーだけでなく物事はほとんどこの手法で埋め尽くされつつある。だが、光のアプローチはむしろ帰納的であり、それによって元々持ち合わせている潤沢なサッカー知識に質が伴っているようにみえた。ずっと攻略本を見ながらその通りにクリアを目指すのと、あらゆる難所で悩みながら(時折ヒントはもらいながらも)クリアを目指すのとでは、経験と知識の質が違う。
もちろん理論が先行することは間違いではない。未知の理論体系を知り新たな視点が現れることで、プレイヤーにとって一種のパラダイムシフトが起こることも少なくない。だがこの手法には、段々と「自分が(この理論が)正しい」と錯覚してしまう決定的な落とし穴が存在する。自分ではわかっているつもりでも、この落とし穴に気づき改善するというのは中々難しいものである。サッカーに限った話ではない。
長々と思い出話に花を咲かせてしまったが、つまり私は大学サッカーを通して多くのことを学んだのだ。そして本当に非常に残念なことに、プロ選手を諦めた時点で、私にとってサッカーは目的ではなく手段であった。私の大学サッカー生活において、自身のサッカーが上手くなることよりも、そのもっと奥にある人生のヒントを掴むことの方がよっぽど重要だったのである。私にとってのそれがここまで書き連ねてきた2つのことだ。そしてこれらの共通項は、自分の最大の長所である論理的思考力やメタ認知能力(就活でも熱弁したなあ)へのアンチテーゼであるという点だ。なんとも悲しい。
と、そろそろ話が脱線してきそうなので、今回はこのあたりで一区切りとする。こんな話をもっと聞きたい人がいればぜひ飲みにでも行こう。周船寺の素敵なbarやバルを紹介する。
最後に。
私が4年間サッカーを続けてこれたのは、仲間の存在が非常に大きかった。辛い時や考え込んでいる時にアドバイスをくれた先輩や話を聞いてくれた同期、もてはやしてくれた後輩が居たことで自身のアイデンティティを堅持することができた。そして、20年間の私のサッカー人生を支え、応援してくれた両親も。恥ずかしいしキャラじゃないので直接言うことはないけども、みんな感謝しています。ありがとう(そういや、慎太郎は私の攻撃的な一面の裏側に、照れや恥じらいがあるのを分かっててよくいじってきてたな。思い出して腹が立ってきた)。
その貴重な大学サッカーの4年間を通して得た「気づき」を次のステージで生かし、その上に新たな「気づき」を積み重ね、より人間的な深みを持てるよう今後も精進していきたい。
拙くまとまりのない文章を延々と書き続けてしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。これを読んで下さったあなたに、新たな「気づき」がありますように。では。
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