【引退ブログ】 vol.7 徳永和馬(共創学部) 『Play football 』
【引退ブログ】 vol.7 徳永和馬(共創学部)
『Play football 』
引退ブログは、サッカーそのものではなく、サッカー部としての活動に焦点を当てる人が多いような気がする。一方で、主観であるが、サッカーそのものに言及したものは少ないように思える。そこで、今回はサッカーとはどのようなスポーツか、という問いから、サッカーサッカーについて考えてみたいと思う。
皆さんなら、サッカーとはどのようなスポーツだと答えるだろうか。私の場合、サッカーは時間とスペースのゲーム(スポーツ)と答える。実は、これは私の言葉ではなく、先人達によって体系化されてきたものであり、俗に言う、洋式サッカーの考え方である。正直、洋式・和式というカテゴリー分けはどうでもよいが、今回は便宜上、和式と洋式に分ける。両者の違いは、サッカーに対する理解の違いから始まる。理解が違えば、評価軸ももちろん異なる。ネジの規格が違うとでも言おうか、片っ方のネジは、もう一方のネジにはハマらない。和式の環境では、球際、強度、パススピード、気持ちなどが、分かりやすい評価対象であろうか。もちろん、球際、強度、パススピードが強い・速いに越したことはないだろう。
しかし、今回言及したいのは、それらを強化するための具体的な改善や修正をすることができているのかという話である。体系化され、セオリーが存在する洋式サッカーにおいては、問題があれば、局所解ではなく、全体をみて問題がある箇所の改善、修正を行う。例えば、球際を強くいきたいのであれば、プレッシングに行きやすいようにさまざまな要因を考慮し、変更、改善することであろう。これは非常に合理的であり、セオリーのもとに評価が下せるため、評価が絶対的であり、PDCAサイクルのように回すことができる。一方で、和式のサッカーでは、球際により強くいくことを目的とし、結果とれたら○、とれなかったら×という0 or 100でしか評価することができないため、評価にぶれが生じる。改善の判断を結果によってしか下すことができないのは、はっきり言って改善ではなく、次は成功するように頑張ろうと言っているだけである。これでは、改善の余地が見込めないと私は思う。
試合に出て、勝ちたいと思わない人はいないと思う。勝ちたい、上のリーグを目指したいと思うのならば、なおさら球際、強度で終わらせず、結果である球際、強度を改善するためにその過程や要因に目を向けるべきではないだろうか。
余談ではあるが、リーグ戦での佐大との試合に関して、いつもより気持ちが出てたから勝てたというような声があったように感じたが、個人としては、やることやったから勝てただけだと思っている。気持ちが表れていたから勝てた、走り負けた・強度が足りなかったから負けたと結論づけるのは、あまりにも短絡的で危なっかしく、次につながる可能性の低い思考であるように思う。
と言いつつ、過程や要因に目を向けて、それを改善するためには、サッカーを知ることが大切である。最終的にどんなサッカーを好むかは自分次第である。しかしながら、洋式のサッカーは知れば知るほどおもしろいし、日々新たな発見がある。サッカーはシンプルだけど、奥深いというのはまさにそうで、それがもっとサッカーを知りたいと思わせてくれる。大学までサッカーをしていると、自分のサッカー観はある程度固定され、それを変化させるのは簡単ではない。だからこそ、以外皆我師という言葉に習って、少しでもいいから他の人の意見に耳を傾けてみることや、試しにやってみることが大切である。サッカーは、どこまで行ってもplayするものであるから、呪縛となるものでもないし、強制されるものでもない。
フットボールはあなたのもの。これも、サッカー観によって受け取り方が異なる示唆に富んだ言葉である。play football 、フットボールの楽しみ方も人それぞれだ。
九大サッカー部は、一部昇格を目指していて、良い目標だと思う。ただ、先述したように、サッカーは0 or 100のゲームではない。自分達が引退する時に、一部昇格できなかったから何も残らなかったというのは、少し残念ではないだろうか。大学サッカーは引退しても、あなたの人生からサッカーは無くならない。サッカーは、人生を豊かにしてくれるものである。この4年間でそのことに気づくことができたのが、私が大学サッカーで得た人生の財産である。
終わりに。
日頃より九大サッカー部をご支援いただいている全ての皆様に感謝を申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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