引退ブログ 原悠貴
こんにちは。
原悠貴です。
そろそろ、部活を引退して1ヶ月が経ちます。
新しい年を迎え、ほとんど運動もしていないせいか部活の頃に比べ少し太ってきて筋トレでもしたほうがいいのかなーとか考えているのですが、どうやら自分は行動に移すのが苦手なようです。今思えばこんな感じの性格はサッカーにも少なからず影響していたように感じています。
さて、引退ブログということで4年間の自分の部活生活を少し振り返りたいと思います。正直見ていて、退屈になるかもしれませんが、今感じていることを書こうと思うので、今見ている人には自分を反面教師にして何か得るものがあれば嬉しいです。
入部当時を振り返ってみると、、、
自分は大学でもサッカーをするとは、正直考えていませんでした。理由はシンプルにそんなに上手ではなかったからです。ただ、知り合いもいて大学でもしてみると少しは上手くなるかなとそんな思いで入部しました。
ただ、大学でサッカーをするにあたってドリブルよりパスの方が好きだったこともありポジションをサイドハーフから真ん中に変えました。
このポジション変更で苦労したことは、周りを見ることと、ポジショニングです。特にポジショニングは苦手で、試合中にどうしても前に行き過ぎるという発作が起きて、部活を引退するまで周りに言われ続けていました。
このポジション変更は今でもしてよかったなと感じています。それは、真ん中をすることでサイドでは感じることができなかった判断の重要さなどいろんなことを新しく学ぶことができたこと、またなぜか、サッカーで好きになる選手がほとんど真ん中の選手であることもそのように感じさせる理由なのかもしれません。
入ってみると自分たちの学年には様々な特徴を持った選手がたくさんいました。
前から追いかけまくる選手、
動き回り、攻守に貢献する選手、
相手を削って守備に貢献する選手、
今考えると、自分のプレーにはこのような強みがありませんでした。そんな強みがなかったからこそもっと頭で考えてプレーすればプレーの幅ももっと広くなっていたように感じます。
1年生の時は、ほとんど攻守のバランスも考えずにただボールを追いかけ自分がしたいことをする、そんな1年で今思えばただがむしゃらに何も考えずにサッカーをして正直、あんまり詳しいことは覚えていません。
練習では、ずっとBチームでそのレベルでも先輩たちの足を引っ張っている分、手だけは抜いてはいけない、そんな気持ちでサッカーをしていました。
2年生になってもほとんどBチームだったのですが、練習後は自主練?(自主練というかただ長い距離でリフティングするだけの遊び)をみんなが帰るまでしていました。この遊びはなぜか、引退しても覚えていてこの時期が一番ボールを蹴っていたような気がします。
プレイの面でも、徐々に好きだったパスが通るようになり(守備やポジショニングは絶望的だったが、、、)、後期になるとたまにAチームでも練習できるようになりました。ただ、紅白戦後にはいつも指摘されていた記憶があります。ただそのアドバイスもあってか、初めてベンチに入ったのもこの時期でした。
今思えば、この時期が4年間で一番サッカーに真摯に向き合い、自分が好きだったプレイがよくできていたように感じます。好きなプレイというのはスルーパスでよく変なパスもしていたのですが、徐々にしたいプレーもできるようになり成長を感じる1年でした。この頃はドリブルに関しては、失敗してもいい、そんな気持ちもあって、ボールを取られることも多かったですが、果敢に勝負していました。
3年生になって、初めて公式戦に途中から出場する機会がありました。この公式戦の出場が最初で最後だったのですが、正直何をしたらいいかわからずただボールを追いかけるだけだったような気がします。しかも、試合中にイエローカードももらい退場しかけました。この出場はただ退場しかけて何もできずに試合が終わりました。
このしょぼいデビュー戦は、自分の技術のなさを思い知らされた試合でした。そして、試合のスピード感が練習の時と違うことも感じました。
後期には、県リーグがありました。勝てる試合もあれば大きな点差で負けるような試合もあったのですが、自分の技術以前に体力のなさ、気持ちのなさを感じさせるリーグでした。それは、試合終盤まで体力が持たないことや、行けるところにいかないといった技術うんぬんの話ではないところが欠けていたように思います。
4年生になって、技術はもちろんですが気持ちの面で人より劣っていました。そして、この1年が一番自分らしくない変なプレーをしていました。
下級生の時は、好きなパスやドリブルをしていたのですが、この時期から裏への抜け出しばかりしていて、自分でもこんなサッカーしてたっけ?、と疑問に思うようなプレーばかりしていました。
今思うと、後ろでボールを持つのが怖くなり、できるだけ前でボールを持とうとしていたからかもしれません。ただ、中盤の選手は後ろからボールでボールを持たなければいけないポシションでありそれをしていなかった自分は中盤とは呼べないほどボールを持っていなかったような気がします。
そして、練習試合でもずっと裏に抜ける動きが多くて、守備もおろそかだった年でした。
4年間を振り返ってみると、自分はほとんどBチームでチームに貢献できたのかと聞かれると、できていなかったと思います。そして、後輩たちの中にはこのままで大丈夫かなと考えている人もいると思います。
しかし、サッカーを楽しんで遊びかもしれなかったけれど遅くまでボールを蹴っていた時、また調子がたまたま良かった時は、自分はほとんど何もできなかったデビュー戦に出場できたり、Aチームに行ったりとしっかりした成果が出ることもありました。
こういった経験から大事にすればよかったなと思うことを少し述べたいと思います。それは、自分の特徴を大事にして貫くということです。
調子が良い時、自分の良さが出ている時を振り返ってみると、サッカーにのめりこんでいて、楽しくのびのびプレーしていました。そして、ミスなんて恐れずに積極的に仕掛けていたような気がします。サッカーを楽しむなんて簡単だと思う人もいるかもしれませんが、サッカーをずっとしているとこの気持ちになることが難しいと思います。何事もまず楽しむことを忘れないでください。
ただ、自分のことだけを書いて、つまらないブログになったと思いますが感謝を述べて終わりたいと思います。
(後輩へ)
後輩たちは、正直かっこいい先輩とは言えなかったと思うけれど、引退までの部活生活を一緒に過ごしてきてくれてありがとうございました。正直、4年間は長くてしんどいと思いますがめげずに4年間をサッカー部としてやりきってください。
(4年生へ)
正直下手で足を引っ張ってしまったと思います。そんな自分に的確なアドバイスや励ましをありがとうございました。4年間、一緒にサッカーができてとても楽しかったです。自分の大学生活にとって大きな思い出になりました。
(先輩へ)
自分がサッカーを少しでもうまくなれたのは、特に先輩方のアドバイスが大きかったと思います。一緒にサッカーができて楽しかったです。ありがとうございました。
最後にこれまでサッカーをする上でサポートしてくださったたくさんの方に感謝を伝えたいと思います。拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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