【引退ブログⅵ】 内山晴貴 存在意義を問う。
【引退ブログⅵ】
内山晴貴
存在意義を問う。
こんにちは。内山晴貴です。長かったのか短かったのか、引退を迎えました。
この4年間、結局最後の最後までAチームで公式戦に出場することは叶いませんでした。自分なりに闘う気持ちをもって、絶対できると信じてやってきただけに悔しくてたまりませんでしたが、特に4年目のシーズンは後輩の成長も著しいものがあったので自分が出られなかったのは仕方ないと割り切ることもできました。もちろん同じポジションで自分ではなく後輩が選ばれるのはとても悔しかったし、「なぜ自分ではないんだ」と納得いかないこともありました。しかしそういった時でもできることを全力でやるしかありませんでした。選ばれた後輩の努力、成長を讃える。チームを盛り上げ、最大限サポートする。いつ自分が呼ばれてもいいように最大限の準備をする。よりチームのために闘うという気持ちを持ったシーズンだったように思います。自分の存在が少しでもチームの雰囲気にポジティブに寄与していたのならば本望です。
4年目のシーズンはBチームの県リーグでキャプテンを務めました。3試合あった県リーグ、もちろん全勝するつもりで臨んだのですが、情けないことに2敗を喫し、唯一勝利した試合も2失点してしまったというどうにも腑に落ちない結果となってしまいました。自分の力不足をはじめとして、Bチームの力がまだまだ足りないことを痛感しました。この時、Aチームは九州リーグで順調に勝ち点を積み重ねていたのに対し、Bチームは県リーグで勝てないという状況にコンプレックスを感じていました。このシーズン、九州リーグでは1部昇格戦を目前とした最終節で敗北、4位に順位を落としてのフィニッシュとなりました。あと一歩で昇格戦、それどころか2部リーグ優勝まで見えていました。自分はその“あと一歩”というのがBチームのクオリティであったのだと思っています。練習ではA,Bどちらでもプレーしましたが、精度、強度、空気感などにおいて結構差があったことを強く覚えています。先に述べた公式戦の成績も含め、1部に行くにはこの差がまだまだ大きかったのだと思います。ひとえにこれはBチームでプレーすることが多かった4年の自分の責任だと感じています。自分にはAチームで闘うことはおろかBチームをプレーで引っ張れるほどの実力がなかったようです。能力が低い故に、このチームにおける自分の存在意義とは何か、存在価値はあるのかということに常に悩みながら活動してきました。4年になって指導係という役職を引き受けたことでその存在意義を少しは見出すことができました。プレー面においてはとてもじゃないけど自分にはチームを背負いきれないことは分かっていたので、「オフザピッチの部分なら」と、主に遅刻関連の指導を行ってきました。本人が反省していることは承知の上でもなお厳しく指導するのは、伝え方なども難しい部分はありました。しかし、これまでシーズン後半に向けて少しずつ緩くなっていたように感じていた部の規律を意識的に保とうとしていたことは、このチームでの自分の存在意義であったと感じています。
今まさに新チームとなり、リーグ戦に向けてエンジンを温めているであろう後輩たちに向けて伝えたいことがあります。常に闘う気持ちをもって試合に出るために必死でやっていてもチャンスが回ってこないこともあると思います。大事なのはそういう時にどう振る舞うかです。決して闘う気持ちやサッカーに対する情熱を無くさず、自分のためよりもチームのために活動することを心掛けてほしいです。サッカーはあくまでチームスポーツであり、個人の成功よりもチームとしての成功が重要視されます。自分個人がうまくいかない時に、殻に閉じこもりチームから目を背けてしまってはチームの成功に寄与しません。それどころか前に進もうとしているチームにブレーキをかけてしまうことになります。最悪なのは気づかずそうなってしまっていることです。自分の成功のために練習や試合、あるいはオフザピッチの活動に取り組むことはもちろん大切だし、自分のためにやるというのが本質であるのは間違いないと思いますが、ネガティブな状況に陥った時こそベクトルを自分からチームに向けて、「チームの成功のために自分は何ができるか」というマインドに切り替えてみてほしいです。試合に出ている人も出ていない人も、全員が同じ熱量で1試合1試合闘うことが本当に大事だと思います。これまで以上に一体感を持って、さらに上を目指して全力で闘い抜いてください。さらなる活躍と発展を願って自分も全力で応援しています。
そして、先輩方に感謝の気持ちを伝えたいと思います。ピッチ内においてもピッチ外においてもたくさんご指導いただき本当にありがとうございました。技術もサッカー理解も乏しい自分に丁寧なアドバイスをしていただいたことが嬉しかったし、勉強になることばかりでした。引退後も自分のことを気にかけてくださる方もいて本当に嬉しかったです。九州リーグのピッチに立つという形で恩返しできなかったことを悔しく思います。変な性格で扱いにくい後輩だったと思いますが、先輩方に多くのことを学ばせていただいたおかげで少しは後輩から慕われる先輩になれたと思います。
最後に、同期のみんなへ、人数は少なかったけど本当に素晴らしいメンバーが揃ったと思います。サッカーの能力が高いのはもちろんのこと、主体性があり、タフで、ロジカルかつ情熱的で、向上心もあり、サッカーを楽しむ心も持ち合わせている、まさにスペシャルチームだなと思います。この中に自分みたいなのがいて本当にいいんだろうかと何度も思いました。それでもみんなと一緒にプレーできて本当に楽しかった。自分が下手でプレー中困らせてばかりだったけど、「もっとこうしろ」といつも檄を飛ばしてくれて、たまにいいプレーができた時は褒めてくれて、一番自分のプレーを気にかけてくれていたのは同期のみんなだったと思います。4年間で少しはサッカーがうまくなったと自分では思っているのですが、それはみんなとプレーできたからだと思います。本来だったら、キーパーは2人いるから仕方ないとしてフィールドは全員でピッチに立つのがベストだったのに、そこに立てるだけの実力がなくて申し訳ない。最終節みんなが僕をピッチに立たせるためにも闘ってくれていたのが本当に嬉しかった。
4年間みんなの背中をひたすら必死でついていくことしかできなくて、サッカーだけでなく人としてもこちらが学ぶことばかりでした。まさに尊敬に値するメンバーと出会えて運が良かったと思います。これからも疎遠になることなく、また頻繁にでもたまにでも集まれたらいいなと思っています。
これをもって小学校2年から15年間続いたサッカー人生が終了(もしかしたら“修了”というべきなのかもしれない)したわけですが、お世辞にもサッカーがうまかったとは言えない自分でも、サッカーを楽しむことはできたと思います。15年間も同じスポーツを続けることができた自分に正直驚いているのですが、それはサッカーというスポーツが楽しいものであるからに他ならないと思います。これからも引き続きサッカーの楽しさを適度に摂取しながら生活していきたいと思っています。そして今後の人生でも、この15年間で得た経験や学びを懐に携え、その時々に置かれた場所で自分の存在意義を模索しながら前に進みます。
p.s.
内容や文章構成がなかなかまとまらず、提出が遅れてしまったことをお詫びします。その割に散らかった文章になってしまっていますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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